もう怖くない!恐れの正体を見破って安心を手に入れる方法

人類共通の心配の種、不足や孤立への恐れの正体について面白い動画を見つけました。コレを見たら悩むのが馬鹿らしくなるかもしれません。

覚者:サダグルさんの動画

その動画はスピリチュアルサイト「VastStillness」さんが制作してくださった動画です。
※現在は動画を見ることが出来ません

サダグルさんは思考に見切りをつけていて、思考を捨てることの大切さを説いています。人間の思考の限界に気づき、距離を置いている。

思考に苦しむ方は、思考との距離感が適切でないことが多い。過去の出来事や他人の言動に対して現状を許さずに、思い通りになるようコントロールしようと苦しみます。

結局は、その苦しみや恐れを創り出しているのは自分であり、そして創り出した思考を恐れているのも自分なのです。

恐れを創り出しているのは誰?

このブログを読んで下さっているこの瞬間、頭の中にはいろんな思考があるかもしれません。 頭の中の恐れって?

  • 何か嫌なことが起こるのではないか?
  • 変な人に付きまとわれたら嫌だな?
  • 仕事がうまくいくかな?
  • また一年頑張らないとな?
  • 病気がこれ以上悪化したらどうしよう?

などと頭の中は忙しいかもしれません。

でも、上で紹介した例は、どれもまだ起こっていない出来事です。起こるかもしれないけれども、現段階では起こっていない。

そんな恐れの場面をイメージしては恐れ、疲れ、嘆いてしまう、私たち人間。

  • このままではダメだよ!
  • 頑張らないと!
  • 問題を解決しないと!
  • 病気を治して元気にならないと!

とあなたを叱咤激励するエゴ。それがエゴの役割なので仕方ないのですが、騒いでいるのはエゴであってあなたではないことはしっかりと認識しておくべきです。

「あーだ、こーだ」とエゴは日々、うるさく頭の中で騒ぐでしょう。しかし、そんなエゴ活動にいちいち参加する必要はないのです。

女性がデスクワークをしているイラスト画像

エゴの思考活動は放っておいて観察する程度にし、目の前で繰り広げられている景色を眺め、聞こえてくる音や声に耳を澄まし、「今」という素晴らしさを味わうことです。

まるで道端に咲いているタンポポのように。他のタンポポより美しくなろう!豊かになろう!元気であろう!などとは思ってなくて、ただ風を感じて太陽を感じて幸せに咲いているだけ。

夕飯は何にしよう?来週の予定は・・・などと余計なこと考えずに、ただただシンプルに「今」を楽しんでいるのです。

子どもの思考に学ぼう!

子どもたちも大人よりは「今」と仲良くしています。夢中で「今」を楽しみ遊びます。でも大人になるにつれて「今」を見失い、否定し、格闘し、もがき苦しんでしまう。

どうしたら「今」を取り戻し、「今」と仲直り出来るのでしょうか?

アスレチックの画像

どうしたら子どもたちのように、道端のタンポポのように、純粋に「今」を楽しむことが出来るのでしょうか?

「今」を満喫する事を阻害しているその原因、そこを客観的に見つめることで何かわかるのでしょうか?

「今」を見失っている原因は?

結論を言ってしまうと、その原因は「記憶」。

それも「嫌な」方。あるいは「知識」「体験」と言ってもいいかもしれませんが、知識もどこかで得た記憶ですし、体験も記憶ですので、ここではまとめて「記憶」と表現しておきます。

砂時計の画像

記憶という邪魔者?

  • 嫌な出来事
  • 惨めな出来事
  • 悲しい出来事

この記憶のせいで、目の前で繰り広げられている出来事、目の前の人物をありのままに見ることが出来ずに、先入観やレッテルを通して見ることが出来ない。

嫌なことをされた嫌いな人と街で出逢えば、「嫌な記憶」が自動で起動して「嫌な感情」に自動でなってしまう・・・

ここでもし「嫌な記憶」がなければ、その人に出会っても「嫌な感情」は起こらないことから、「嫌な気分」の原因は相手ではなくて自分の「記憶」だとわかります。 嫌な気分の原因は相手ではなく、自分の記憶

そんな嫌な体験という記憶を増やさないように、あれこれと思考し、調査し、準備し、行動してという、不安・恐怖・不足対策の日々を送ることも。

そんな記憶対策中心の日々なんて疲れる・・・。大人になればなるほど、失敗経験という記憶が増えますので「記憶対策」に走りがち。

心配性な人の思考とは?

心配性な人は、色んな事に気付ける頭の良い人なので、苦労してしまうでしょう。

そして、心配事に意識のピントを合わせ続けてしまう事で、心配事を引き寄せやすくなってしまうことも?

疲労している男性の画像

サダグルさんが語っているように、頭の中にある心配事なんて頭の中に存在しているだけの「架空物語」に過ぎません。実際には存在していない、架空物語で悩む必要も、苦しむ必要もありません!

架空物語で悩むアホらしさに気付くかどうか?ここが心配性な人とスッキリな人との分かれ目です。

富士山が噴火したらどうしよう?((((;゚Д゚)))))))

起こってもいない噴火に意識を合わせて、生活ができなくなるという物語を頭の中で作り上げて、その対策で悩む?

噴煙の画像

受験に落ちたらどうしよう!((((;゚Д゚)))))))

受験に失敗したら、、、夢が叶わずに本望でない人生を送る事になりそう?若くして人生の夢を諦めなければならなくなる?理想の結婚も遠のきそう、、、((((;゚Д゚)))))))

だから何が何でも第一志望に合格して、人生を満喫しなきゃ?そのためには勉強あるのみ?

落ちてもいないのに、その後の我慢の人生物語を頭の中で作り上げて、その対策に必死?

このように自分の頭の中の思考に囚われて生きることこそ、大失敗の人生となるのではないでしょうか?

不足という幻想?

不足というのも想像上の架空のものであり、幻想ではないでしょうか?

不足は実際にこの世界に存在しているのでしょうか?それとも頭の中にあるものでしょうか?

ミニカーとお金の画像
400万円の車を買うのに200万円しかない。200万円足りない!

という場合、頭の中で「存在していない架空の200万円=不足」と捉えていますよね。この場合は、存在していない架空のお金に苦しんでいることにならないでしょうか?

サダグルさん流に言えば「ただの思考」であって、現実には存在していないものを想像して苦しんでいる。

すなわち、 自分で不足を想像して創り出して、それに苦しんでいる!

のです。わざわざ不足を創造して足りないと苦しむ、これって意味あるのか。

まとめ

自分の思考に苦しむのはもうやめよう!

まとめはとってもシンプル。不足や恐れを頭の中で自分で作り出して、自分で苦しむ・・・そんな自虐的なドM生活はもうやめよう!